SNSの現代、このネットワーク世界のない生活なんて、今後考えられない。だが、つながっているはずなのに、会話はほとんどない。投稿を見て、“いいね”を押す。それだけのやり取りが続いている。
関係は切れていない。でも、距離を締まる気配は少数。近いようで、遠い。遠いようで、切れていない。そんな曖昧な状態のまま、気づけば時間は数年と過ぎ、ふとした瞬間に孤独のような感覚が残る。
いいねだけの大多数の関係に少し疲れてきた。それは、つながりを大切にしたい気持ちがあるから。SNSの中で生まれる、中途半端な距離感。今日のテーマは、いいねだけの関係に感じる違和感と、無理に変えなくてもいい関わり方を考えます。
つながっているのに、関係が動かない違和感
SNSでは関係が自然に続く。フォローも嫌いな相手意外は基本はずさない。一度フォローをすると相手の投稿も見かける。切れているわけではないけれど、関係が深まる実感もない。
会話が増えるわけでもない。投稿を見て、いいねを押し、それで終わる。でも関係は維持されている。維持はされても前には進んでいない。この「止まったままのつながり」が、だんだん静かな違和感となる。
“ いいね ”は関係を保つ行動
いいねは、無関心ではない証。「見ているよ」というサイン。このボタンは承認欲求を刺激する最強のボタンだ。だから関係は切れない、気まずさも生まれにくい。ただし、それ以上の変化も起きづらい。安心感はある。SNSに求める内容にもよるけど、維持されるだけの関係は、人の関わりを満たされない感覚を残す。
会話のない関係は深まりにくい
関係が深まるのは、やはり言葉のやり取りがあるとき。お互いの顔を見て近況を伝えたり、本音で接する時間。そうした積み重ねで距離は縮まる。
いいねだけでは、全くでは無いと思うけど、そこまで築けない。浅いわけでもなく、深いわけでもない。中途半端な距離のまま残る違和感。他を例に当てはめても、『 生には勝てない 』と私は思う。
疲れるのは、関係を大切にしたい気持ちがあるから
いいねだけで満足できるなら、疲れは生まれない。違和感があるから、どこか好意のある相手に対し気持ちを望んでいるから疲れるのかも。
もう少し話したい、もう少し近づきたい。その気持ちが強いほど、表面的な関係に物足りなさを感じる。つながっているのに、共有しているものが少ない。このズレが、静かな疲れになる。
近いようで遠い関係の曖昧さ
SNSでは近況が見える。写真、生活、考え方も。距離が近いように感じるが、直接のやり取りは画面越し。文字は考え方を共有できるが、気持ちは共有できない。完全に離れているわけではないけが親しいわけでもない。
この中途半端な気持ち、心の曖昧さが満足に値しない。
遠慮は、関係を壊したくないから
コメントするほどでもない。メッセージを送るのも,,, なんか気が重い。その行動よって距離が変わるのも嫌だし、だから何もしない。結局いいねだけにとどめる。遠慮が続くと、関係は動かないまま残る。
気を使い続けるつ繋がりは、静かに心をすり減らしていく。
SNSに疲れたときに選べる、2つの関わり方
いいねだけの関係が決して悪いわけではない。ただ、疲れを感じたなら選び方を変えてもいい。関係にはいくつかの向き合い方があるのだから。
そのままを続けるという選択
すべての関係を深める必要はない。いいねだけでも十分なつながりもある。負担が少ない。距離も保てる。この距離感が合っているなら、無理に変える必要はない。

SNSの良いところの一つ。現実社会では中々“いいね”だけで関係構築は続けられないから。
少しだけ関係を動かすという選択
長い文章は必要ない。短い一言で十分。
「元気そうだね」「これ好き」「気持ち分かる」など,,,それだけでも関係は少し動く。もし反応がなくても問題ない。
返信が来るのが当たり前じゃないのもSNSの良い所だから。現実社会で返事を無視した場合、トラブルの原因、火種の元になるよね(汗)
話に戻ると、行動したことで気持ちは整理される。関係を深めるかどうかは、その後に決めればいい。
まとめ
SNSでは、関係が切れにくい。でも、深まりにくい。いいねだけのやり取りは、距離を保ったまま続く関係。だからこそ、近いようで遠い違和感が生まれる。
疲れるのは、つながりを大切にしたい気持ちがあるから。無理に深める必要はなく、そのままでいい。
少しだけ動いて歩み寄ったり、距離を保つのも、どちらでも選べる関係。いいねだけのつながりも、今の自分、時代に合った距離のひとつなのかもしれない。
