GW。まとまった休み。本来ならゆっくりできる時間。しかし、実際は違う。
“何かしなきゃもったいない・出かけなきゃ・充実させなきゃ”無意識にそんな感覚がどこかで生まれる。
そもそも、いつからだろうか?
GWはどこかで遊びに行こうといった風潮。私の幼少期はそういったイベントは少なく、祖父母の畑の手伝いをしていたことが多かったような思い出(苦笑)
現在はそういったことはないですが、20代の頃、気づけば何もしていない自分に気を落とすことも。このような流れ、意外にも多いのではないでしょうか?
今日はそういったGWの過ごし方について考えてみたいと思います。
なぜ「何かしなきゃ」と思ってしまうのか
理由はシンプル、
“周りが動いているように見えるから”。
テレビやネットニュースではGWの過ごし方や交通状況など、この期間連日のように報道を目にする。SNSを開けば、旅行、外出、イベントなど楽しそうな投稿を見るたびに自分の状況と比べてしまう。
他人の一瞬が自分の全体と瞬時に比較し、そのギャップで苦しくなる。
休み=充実させるものという思い込み
冒頭にもあるように、GWの休みは有効に使うべきという風潮、何もしていないのは勿体ないという前提。
しかし実際、休みの目的は一つではない。
遊ぶ・整える・回復する時間など、どれも成立する。何もしない時間も、本来は必要な時間。
選択肢が多すぎて動けなくなる
GWって楽しむイメージ。出かける、家で過ごす、誰かと会うなど選べる状態。
一見、自由。しかし、じりじりと負担が…
人は、選択肢が多いほど決められない心理になる。
ということは、選べる数が増える=迷いも増える。その結果、決めきれず場合によっては何もしないことに繋がる。
何もしないことに罪悪感が生まれる理由
GWなんだから〇〇しなきゃ!
それって、問題は行動そのものではなく、「何もしていないと思っている自分」という認識。
他人基準で自分を見ている
周りは楽しんでいる、自分は何もしていないという比較。しかし見えているのは一部だけで裏側は見えない。
分かってはいる、それでも少し気になっては比べてしまう、だから苦しい。
行動=価値という思い込み
動いている人はすごい。何かしている人は充実している。本など、どこかで聞いたことのあるフレーズ。確かに間違いではないんだろうけど、その基準で見ると、何もしていない自分は価値が低く感じる。
しかし本来、行動量と価値は別。ここを混同すると、必要以上に自分を責めることにもなる。
気持ちを楽にする考え方
GWって“あれこれしたいもの”
もちろん、あれこれする方が自分に合っている。それはそれでOK。ですが私の経験上、年齢によって変化があると感じる。
一番は体力面かな(苦笑)それに現在はGWは仕事なため休みの感覚というか仕事脳です。そうじゃなかったとしても、恐らく日頃の仕事疲れで家でゆっくりしたいと思っていると思います。
そして、必要なのは行動を増やすことではなく、少し見方を変えてみるのも面白いです。
何もしない時間にも意味がある
体を休め思考も整理する。
案外、この何もしない時間に対し耐えられない人がいる。そんな人がGWで何もしない時間なんて「油に水を入れるようなもの」この行為は一見、側から見たらダラダラしているように見える行為だが、これは何もしていない訳ではなく回復している状態。
ここで視点を変える。何もしていない時間は次のための準備。そう捉えるだけで、罪悪感は軽くなる。
比較をやめるだけで軽くなる
他人ではなく自分。今日どう過ごしたか?それだけを見る。
比較をやめると、焦りも自然と減る。見ている基準を変えるだけで、感じ方は大きく変わる。
GWは優先順位「1つだけやる」と決める
優先順位でリスト化し1つだけ行動。全部やろうとすると逆に何もできなくなるから決める。
1つだけ。散歩、映画、読書でも小さな行動。それだけで「何もしていない」という感覚は消える。
まとめ
GWは何かしなきゃと思ってしまう。
その感覚は多くの人が感じているもの。原因は、比較と思い込み。そして選択の多さ。
何もしていない時間も意味がある。それも一つの使い方。無理に充実させなくていい。自分に合う過ごし方で十分。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
GWの道中は大変混雑するので、くれぐれもお気をつけて、素敵なGWを楽しんでください。
O〜(お〜)✌️
