今日も始まった、嫁さんの推し活。
テレビや音楽は勿論、隙あらばひっきりなしに視聴している…
この光景に、私は良くもまぁこんな時間を投入できるな!半分は尊敬な眼差しと、もう半分は呆れかえっている(苦笑)
会ったこともない、話したこともない。それなのに、なぜ人は誰かを好きになるのだろう?推し活という言葉が広まった今でも、私は時々不思議に思う。
好きな歌手や俳優、スポーツ選手や動画配信者、相手は自分の存在を知らない、それなのに新曲が出れば嬉しいし、活躍すれば自分のことのように嬉しくなる。
客観的に見て不思議な関係だ。
友達、恋人、家族でもないのに何故そこまで?この関係って一体なんなんだ?
会ったことのない人を好きになるのは変なのか?
推し活に興味がない人からすると、会ったこともない人を応援する意味が分からないと思う。

確かに、その気持ちわかるな
考えてみると、人は昔から似たようなことをしてきた。歴史上の人物に憧れたり、スポーツ選手を応援するなど様々だ。
好きな作家の本を集めたり、好きなキャラクターのフィギュアなど推し活だけが特別なわけではない。
人は誰かの生き方や考え方に触れることで、自分自身の人生に影響を受ける生き物なんだと思う。
推しは「元気をくれる存在」でもある
ある日、嫁さんに何でそこまで推し活するのか?聞いてみた。
仕事で疲れた、人間関係で落ち込んだ日、ストレスが溜まったなど、そんなとき推しの動画や音楽など視聴して癒されるのだそうです。
心理学では「ロールモデル」と呼ばれる存在がいる。自分が目標にしたい人や憧れる人のこと。推しも、その一種と言えるかもしれない。
会ったことがなくても、言葉や作品を通じて力をもらう。なので推し活は単なる趣味ではなく、心の支えになっている人も少なくない。
お金や時間を使うことは悪いことなのか
推し活というと、お金がかかるというイメージもある。
確かに、ライブやグッツにお金を使う人も多い。ただ、それは私で例えるなら旅行や映画鑑賞と同じ。自分が価値を感じるものにお金を使っているだけのこと。
問題なのは推し活そのものではなく、生活に支障が出るほど無理をしてしまうこと。適度に楽しめるなら、推し活も立派な趣味の一つだと思う。
推し活は中途半端なのか
推し活は中途半端なのだろうか?私は以前、こう思っていた。
会ったこともない、話したこともない。相手は自分の存在すら知らない。それなのに応援している。
冷静に考えると、不思議な関係だ。友達なら会話がある。家族なら支え合いがある。恋人ならお互いを知っている。
でも推しの関係には多少あるにせよ、そのどれもない。だからこそ、そんなの意味あるのか?時間の無駄なのでは?と、以前の私はそうでした。
しかし、それだけでは説明できない気がしている。なぜなら実際に、多くの人が推しの存在に支えられているから。落ち込んだ日に元気をもらう。仕事を頑張る理由になる。明日を乗り切る力になると言ったように。
会ったことはなくても、人生に影響を与える存在になっている。それを単なる中途半端な関係と呼ぶのは、少し違うような気がする。
人生には名前のない関係がある
世の中には、家族、友達、恋人だけでは説明できない関係がある。
昔の同僚、SNSでつながっている人やたまに連絡を取る友人。そして推しなど、どれも特別な関係ではないけど無関係でもない。
私たちは意外と、そんな関係に支えられながら生きている。
中途半端だからこそ心地いい
友達には気を使うことも、家族には責任が。恋人には期待もある。でも推しとの関係には、それがない。
自分のペースで応援できる。少し離れてもいいし、また戻ってきてもいい。この距離感は、忙しい大人にとって意外と心地いいものなのかもしれない。
推し活から学べることもある
推し活は楽しむだけではない。
努力を続ける姿を見たり勇気や挑戦する姿に刺激を受け、落ち込んだ時に前を向くきっかけにもなる。
会ったことはなくても、自分の人生に良い影響を与えてくれる存在はいる。そう考えると、推し活には十分な価値があるように思う。
まとめ
会ったこともない人を好きになるのは一見ふしぎなこと。でも、人生には、家族や友達、恋人でもない、そんな名前のない関係がたくさんある。推し活も、その一つなのかもしれない。
私は以前、推し活を少し中途半端な関係だと思っていた。
でも今は違う。中途半端なのではなく、ちょうどいい距離感なのだと思う。会ったことなくても、誰かの存在に支えられる。そんな関係があっても、いいのかもしれない。
