Oの一族です
それは突然だった‼︎
〇〇大学病院ですが、息子さんですか?
はい ,,,,,
この電話1本から、私の人生に大きな責任がのしかかった。
現在 私の父は腎不全、ステージ5の末期です。一時は入院はしたもの退院をし、定期的な治療、人工透析をしながら生活をしています。
まぁ、一時はどうなるのか?と頭は真っ白となり、この不安を暴飲暴食の日々を一時過ごしていました 苦笑
現状を少しずつ受け入れ病気の理解をしている状況です。調べている中、これまでの日常生活は大きく変化しましたが、日々の生活をする分には可能、これで一安心と思いたい所なのだが、ここでもう一つ大きな問題を医師、看護師の方から聞かされました。
認知症の疑い とのこと,,,
こうなると、本格的な親の介護だ‼︎ と 瞬時に今後を悟った。
正直、いずれ訪れるであろうと頭の隅にあったものの、こんなにも早く、しかもんな形で訪れるとは 夢にも思いませんでした。
振り返ると、父の物忘れが増え体力も落ちてきたと実感、一人で出かけさすのも心配になってきており、ついこの前まではまだ大丈夫だと思っていたのに、そして、ふと気づくと電話一本で
「介護」という現実を突きつけられる。
もちろん、親のことは大切だ。できるだけのことはしたい。
でも、私には私の生活がある。
仕事だって、プライベートだって、まだまだ手放せないものがたくさんある。
すべてを犠牲にして「親のためだけに生きる」なんて、簡単にできるわけがない。
でもそんなふうに思う自分に、どこか罪悪感を抱いてしまう。
「私ばっかり…」と感じてしまう瞬間
私の中には、
いくつもの気持ちが混ざり合っていた。
「ちゃんとしなきゃ」「親孝行しなきゃ」という思いと、「なんで私ばっかり」「誰もわかってくれない」という怒りや孤独感。
兄弟もいるのに、なぜか私にばかり連絡が来る。他の家族は、まるで“他人事”のように受け流す。
「なんとなく私がやることになってる」空気。そのなんとなくが何だか腹ただしく時折辛く感じることも。でも、誰にどう伝えていいかわからなくて、モヤモヤを飲み込んで笑ってしまう自分にも、また嫌気がさす。
「全部やらなきゃ」は思い込みだった
ある日、偶然ネットで見かけた文章に目が止まった。
それは介護経験のある女性の言葉だ。
「家族は全部やる人じゃなくて、チームの一員でいいんです」
その一言が、責任の重さを和らげたてくれた。誰かに頼ることは、「逃げ」じゃない。
むしろ、まわりと協力しなければ続かない。「親との関係を、長く・穏やかに続ける」ためにこそ、自分自身の心と体を守ることが必要なんだと学んだ。
少しずつ準備すれば、心も軽くなる
私は、今のうちにできることを探し始めた。いきなり「介護のすべて」を背負う必要、いやできないから。
・ケアマネージャーの存在は、どういう場面で頼れるのかを学ぶ
・身内と集まり、現状や今後について率直に話す機会をつくる
こうやって一歩ずつ動いていくうちに、「介護」は漠然とした不安から、具体的に向き合える課題へと変わってきました。
「私の人生」もちゃんと続けたい
介護が始まっても、私の人生を大事にしていい。仕事も、大切な人との時間も、自分の趣味も、すべてを手放さなければならないわけじゃない。
むしろ、それらを続けていくことが、長期戦になる介護においては大きな支えになる。そして、子どもにすべて背負わせてしまうことに、親だって罪悪感や心苦しさを感じるかもしれない。
だから私はこう決めた。
「できることを、できる時に、できるだけ。でも、決して離れない」
全部できないとダメなんじゃない。関係を続けていくという気持ちこそが、いちばんの支えになると思うから。
まとめ:親の介護と自分の生活、どちらも大切にしていい
「親の介護」と「自分の生活」は、両立できる。
100点の介護じゃなくていい。60点でも、続けていけることが大事。
すぐに完璧を目指さなくても、今から少しずつ準備することで、未来の自分も、親も、ずっと穏やかでいられる。一人で背負い込まないこと。支援を使うことをためらわないこと。そして、誰よりも自分自身を責めないこと。
私たちは「子ども」であると同時に、「生活者」でもある。どちらかを諦めるのではなく、どちらも大事にする方法をこれから、ゆっくり探していけたらいいと思っています。
まー理想と現実に直面することが今後多々あるかと思いますが、今現段階としてはこういった心境です。
なので中途半端な覚悟が、長期戦において介護においては必要ではないのかなと私は思います。
以上
この記事が少しでも参考になれば幸いです。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
引き続き、お互い 楽しみましょう
O〜(お〜)✌️