Oの一族です
今日のテーマは「中途半端な恋愛」について。時折、テレビやネットニュースなど芸能人の不倫や浮気など世間を騒がせている報道を目にしますが、正直、どうでもいいと、思っている私です 笑
この話は芸能人に限った珍しい話でもなく、私達、一般庶民でも耳にすることがあるのではないでしょうか ⁉︎ みなさんは、こういった経験ありますか? 笑 ” 私は、正直、あります ” 現在は結婚しているので、そういった危ない橋は渡りませんが、学生や社会人になって間もない頃は、恋愛で相手をキズつけたり、キズつけられた青春時代でした。
前置きが長くなりましたが、この世に男女が生存している以上、恋愛は永遠のテーマと言っても過言ではないという、今日はそんな話。一つでも参考になってもらえたら幸いです。
この関係、なんて呼べばいいんだろう?
一緒に映画に行ったり、深夜まで電話、記念日じゃないのにプレゼントをもらうこともある。
体調を気づかってくれることも。それに、肌を合わせることも,,, でも、「付き合おう」という言葉や形はなく、まるで恋人みたいなのに、そうじゃない。その曖昧さに、どうしようもなくモヤモヤしたこともあった。
曖昧な関係に惹かれてしまう理由
気づいたときには、そんな関係が始まっていた。最初は友達。けれど、だんだん特別な存在に変わっていき、ふたりの時間は居心地よく恋人といるような安心感。その心地よさに、言葉なんて必要ないと思っていた。だけど、ふとした瞬間に「この関係に名前がほしい」と感じることもある。不安を飲み込み、笑って過ごす日々を選んでいたけど、その曖昧さが少しずつ重たくなる。
嬉しさと不安が交互にやってくる
笑顔になることもあるし、優しさに触れてホッとする時間もある。でも、その一方で不安が積もっていくのも事実。たとえば、相手が他の人と親しそうに話していると、胸がざわついてしまう。けれど、恋人じゃないという現実がブレーキをかける。「嫉妬する資格なんてないよな」って、自分に言い聞かせる。このままではいけないと分かっていながら、離れる勇気も、踏み込む覚悟も持てずにいた。
自分の気持ちに向き合うタイミング
ある日、自分の中に問いかけてみた。「このままで、本当に満足してる?」ずっと相手の気持ちばかり気にしていたけれど、実は、自分自身がどうしたいかが一番大切だった。この関係は、自分にとって心地よいものなのか。それとも、どこかで我慢していないか。そして何より、私はどうしたいのか?答えはすぐには出てこない ,,, それでも、「関係に名前がほしい」と願う自分がいることに、ようやく気づけた気がする。
曖昧なままを選ばない勇気もある
曖昧さには安心感もある。けれど、それに甘えていると、気づかないうちに心がすり減っていく。自分の本音を伝えることで、関係が壊れてしまうかもしれない。それでも、ちゃんと向き合うことでしか見えない未来があると思った。傷つかないように曖昧さに逃げるより、たとえ終わりが来たとしても、自分の気持ちに正直でいいと思う。
まとめ:モヤモヤするのは、ちゃんと大切に思っている証拠
「付き合ってないけど、恋人みたいな関係」そんな曖昧な距離に揺れるのは、きっと相手のことを大切に思っているからこそ。本音を押し殺して笑うより、自分の気持ちを大切にしてあげたほうが、この先の自分にとって優しい選択になる気がする。迷いながらでも、揺れながらでも。この関係から一歩を踏み出すことで見える景色があると私は思う。
以上
最後まで、読んでいただき、
『 ありがとうございます 』
また、こういった普段、”中途半端だな”と思うようなお役にたつ内容を投稿しますので、気軽に遊びにきてもらえると、うれしいです。
では、また近い内にお逢いしましょう。
O〜(お〜)✌️