Oの一族です
今日のテーマは「中途半端 な 親戚付き合い」について。これって、、、、ときおりおり必要?と思うことや、困ることがあったりしません?。それに、日頃よく会わないので気をつかうんだよね 笑
私の失敗談を話すと、父親の祖母、13回忌の集まりで親族が集まった時の話なんだけど、私が幼少期にお世話になった方で、10年以上ぶりにお逢いした時に、”この人、誰だろう?”と思いながらの心境で、一方親戚の方は私のことを知っている模様。
つい、私は口を滑らせ”はじめまして”と言った途端!その方は、何言ってんの、違うわ、の一言!( ヒィ ‼︎ わ ー たすけて ーーー )笑 空気は最悪で幕を閉じる。” あ ーーー めんどくさ ” 今日はそんな私が思う、今後の親戚付き合いについての記事となってます。
「久しぶり」って言われても、うまく笑えなかった
お盆や正月になると、なんとなくやってくる「親戚付き合い」。実家に帰ったときにだけ会ういとこ、年に一度LINEが来る叔母さん、名前は知ってるけど、会っても何を話せばいいのか分からない人たち。「元気だった?」「また集まろうね」と言われるけれど、正直、どこまでどう関わればいいのか、いつもよくわからないままだ、、、
中途半端な関係が、地味に心を消耗させる
親戚という言葉には、「家族」ほど近くはないけれど、「他人」ほど遠くもないという、独特な距離感がある。そのあいまいさが、かえって心の重荷に。
・積極的に関わりたいわけでもない
・どこかで「ちゃんとしなきゃ」と思ってしまう
「呼ばれたから行く」「年賀状だけ送る」 その曖昧さに疲れてしまう
「久しぶりに集まるから顔だけでも見せて」と言われると、断る理由がない気がして、なんとなく参加してしまう。でも、話す内容は表面的で、どこか居心地が悪い。そうやって無理をして関わると、帰り道でどっと疲れてしまう。「なんで行ったんだろう」と、自分に問いかけてしまう。それなのに、また次の誘いにも中途半端に応じてしまう。断るのも気まずい。付き合うのもしんどい。その繰り返し。
無理に付き合わなくてもいい。自分なりの線引きがあっていい
あるとき気づいた。私が疲れていたのは、「親戚だからこうするべき」という誰かの基準に、自分を合わせすぎていたからかもしれない。でも、本当はそれぞれの関わり方があっていい。距離を置くことが冷たいわけじゃないし、連絡しないことが失礼とも限らない。
・「この人とは、年に一度だけ連絡をとる関係でいい」もアリ
・「大切にしたい人だけ、ちゃんと関わる」で十分
自分の心が疲れない範囲で、自分が納得できる関係だけを選んでも、いいと思う。
まとめ:中途半端に悩んでいるのは、誰かと丁寧に向き合いたかったから
「親戚だから」「家族なんだから」そうやって自然にできる人もいれば、そこに戸惑いや負担を感じる人もいる。私は後者だ。でもそれって、関係をないがしろにしてきたわけじゃない。むしろ、どう付き合うのが正解なのか、ちゃんと考えたからこそ、モヤモヤしていたのだと思う。中途半端な親戚付き合いに疲れてしまったときは、それは「考えてきた証拠」だと、自分に思うようにしている。無理に関わる必要はない。自分が心地よくいられる距離感を、自分の手で選んでいい。そう思えたとき、あの曖昧だった“関係”にも、ようやく自分なりの意味が持てた気がする。
以上
最後まで、読んでいただき、
『 ありがとうございます 』
また、こういった、これって中途半端かも?といった色んな視点から投稿してるので、気軽に遊びにきてもらえると、うれしいです。では、また近いうちにお逢いしましょう。
O〜(お〜)✌️