“もっと自分を信じなきゃ”
心では分かっている。けど、そう思うたびに、なぜか少し苦しくなるアナタへ。
前向きな言葉を聞き、本など読んでは自信を持つと決めても、はじめは良い、けど、しばらくするとまた揺らいでしまうことはないですか?
そして最後には「やはり自分は弱いのかもしれない」と感じ、責めてしまう。
そもそも強い人なんているのだろうか?
本当に足りていないのは “ 強さ ”なのか?
私は思う、自分を信じられないとき、多くの場合、欠けているのは強さや気合いでもない。
静かにすり減っている“土台”だ。
自信が持てないのは性格の問題ではない
自分を信じられない人って、「 何もしていない訳でも、不真面目でもない 」むしろ逆で責任感が強い印象のように感じる。
・周囲に迷惑をかけないよう気を配りすぎる
・できるだけ期待に応えようとする
そんな真面目さを持った人が多い気がします。
しかし、その真面目さは消耗を生む。
常に「正解」を探し続ける生活は、脳を疲れさせ緊張が続くと人は自分の判断を疑いやすくなる。自信がないのではなく、
“疲れているだけ”ということも多いはず。
自己信頼は成功より「安定」で育つ
自信は成功体験から生まれる、それは一つに過ぎない。
でも実際には、自己信頼は「安定」から生まれると思う。
・寝る時間も起きる時間も一定でない。
・やることが多すぎて優先順位が曖昧。
こうした揺れが続くと、脳は常に不安定になる。不安定な状態で自分を信じようとしても、うまくいはずがない。
だからこそ大きな成功よりも先に、
・朝の流れを決める
・自分で決めた約束を大小関係なく守る
こうした小さな安定を積み重ね、守れた約束が増えるほど、「自分は大丈夫かもしれない」という感覚が生まれると思う。
刺激の多さが「自己否定」をつくる
今は刺激が多すぎる時代。
SNSでは誰かの成功を目にし、ニュースでは不安を煽り繰り返され通知が途切れない。
脳は常に比較状態に置かれる。
比較が続くと「自己評価は下がりやすい」。これは性格ではなく、構造の問題。
自分を信じられない人の多くは、自分を否定しているのではなく、刺激に晒され、無意識に他人と比較し続けている。だから必要なのは強いメンタルではない。
・情報源を絞る
・視界を整える
刺激を減らすだけで、思考は静かになる。

いつもより情報の頻度を落とすって、「生きやすさ」に欠かせない大切なことだと思う。
「土台(心)」が揺れているだけかもしれない
自分を信じられない日は、「能力がない」と結論づけてしまいがち。でも本当は、土台が揺れているだけかもしれない。土台が揺れていると、
・他人の言葉に振り回されやすくなる
・小さな失敗を大きく感じる
これは弱さではなく、土台の支えが少し足りないだけでは?と、私は思う。
中途半端でもいい
正直に言えば、土台だっていつも安定しているわけではない。
整えたはずの机はまた散らかったり、決めたルーティンも崩れる日がある。
それでもいい。
信じるか、信じないかの二択じゃない。
「揺れながら進む、崩れながら戻る」
そう、人生のように。
自分を信じられない日は、「まだ途中なんだ」と受け止めればいい。
足りないのは強さではない。
「少しの安定と、少しの余裕」
それが整えば、信じる力は静かに戻ってくる。
完璧を求めなくても大丈夫。
中途半端なままでも、土台はつくれる。
ねぇ、そう思わない?
