気づけば、まわりは“ちゃんとした大人”ばかりに見えた。几帳面で、丁寧で、礼儀正しくて、余裕があって。そんな人たちに囲まれているうちに、「自分もそうならなきゃ」って、勝手に思い込んでいた。敬語を覚えて、服装を整えて、時間通りに行動して。ちゃんとしよう、失礼のないように、迷惑をかけないように。でも心の中は、ずっと置き去りだった。気づけば、“ちゃんとした自分”を演じていた。
朝から晩まで、周囲に気を配って、空気を読んで、笑顔を絶やさず、ミスもしないように。“ちゃんとしている”と見られるように振る舞うことに、エネルギーのほとんどを使っていた。家に帰るころには、ぐったり。誰とも話したくない日もあった。頑張ってるのに、なんでこんなに苦しいんだろうって、ふと天井を見つめながら思った夜も何度もあった。
ある日、仕事帰りの電車の窓に映った自分の顔を見ると、思っていたよりも疲れていて、目が笑っていない。「どうして、こんなに無理してるんだろう」気づいた瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。その日、家に帰ってもなかなか寝つけず。「僕は、誰のために頑張ってるんだろう」そんな問いが、何度も頭をよぎる。
それから少しずつ、無理をするのをやめてみた。「できない」と言ってみたり、「疲れた」と言ってみたり。最初は抵抗があったけど、それでも人生は続く。ちゃんとしてなくても、嫌われたりするのは少数。それより、周りに合わせることばかりじゃなく、“自分に合ったペース”で生きることも、大人として大切なことなんじゃないかと、思い始めた,,,
不器用でも、忘れっぽくても、気が利かなくても。僕には僕のリズムがある。できることと、できないことがある。でも、それでいい。ちゃんとしていなくても、大丈夫。今の僕は、“ちゃんとした大人”じゃないかもしれない。でも、ようやく“ちゃんと自分でいる”ことを選べた気がする。そう思えた日から、また一つ、心の荷が軽くなった。