「わかるよ、その気持ち」
気づいたら、また言っていた。
同僚がポツリとこぼした悩みに、僕は何気なくそう返していた。
でも本当は、わかってなかった。ただ、分かってる“風”でいることで、その場をうまくやり過ごしていただけだった。
わかるって言えば、相手は少し安心した顔をする。でもそれは、僕の安心でもあった!
傷つけるのが怖かったし、深入りされるのも苦手だ。だから、浅くやさしい言葉を選んでいた。
まるで自分にも言い訳するみたいに,,,
その日、帰り道にふと思い出したのは、同僚の表情だった。笑っていたけど、目はどこか遠く、ほんとは聞いてほしかっただけなんじゃないかと思った。
僕の「わかるよ」は、本当にその人の心に寄り添っていただろうか?
胸の奥が、じんわりと重苦しくなる。
『 誰かの気持ちを完全に理解することなんて、本当はできない 』でもだからこそ、
「わからないけど、ちゃんと聞くよ」と言える強さを持ちたかった。
自分を守るための“わかってる風”じゃなくて、相手のために不器用でも向き合える自分でいたいと思った。
次にまた、誰かが話しかけてくれたら、ちゃんと立ち止まって、「わからないけど、教えて」と胸を張って言いたい。全部を理解しなくても、聞こうとする姿勢が、誰かの救いになることもある。
“わかってる風”じゃなく、
『わかりたいって気持ちで、今日を終えたい』