中途半端なまま手放した夢が、今も胸に残っている

中途半端 道

Oの一族です

みなさん、夢をお持ちですか? その夢、叶いましたか? 私の場合、幼少期の夢を叶えることは出来ませんでしたが、好きなことをして生きています。夢はあるのか?

そりゃ
もちろん!

『 仕事に遊び と 沢山あるし、追ってます 』

今日は、そんな話。

あの夢を、本気で追ったわけじゃない。でも・・・

「昔、こうなりたかったんだよね」
誰かにそう言ったこと、ないですか? その言葉が胸の奥で少しチクッとする。

本気で追っていたような、追っていないような気持ちだったと思う。
だけど、本気になりたかった気持ちは、たしかにあった。

私にも、そんな夢がある。
途中までしかやれなかった、いや、やらなかった夢。中途半端なまま置いてきて、今でもふとした瞬間に思い出すことも。

なぜ中途半端なまま手放してしまったのか?

振り返れば、いくつも理由はあった。

「向いていないかも」
「現実的じゃない」
「周りの目が気になる」

それに、結果が出ないことで自信もなくしていった。でも、結局のところ一番大きかったのは、
本気で向き合えていなかった 』中途半端な奴と思われたら、失敗したとは言われない。本気出せばいけたかも!の方が、どこか安心だったし、それが、私の逃げ道だったような気もする,,,

残っているのは、夢ではなく“想い”かもしれない

夢を手放して時間が経った今。
それでもまだ思い出すということは、そこに自分にとって大切な何かがあったという証拠だと思う。それは職業や肩書きではなく、

「 こんな風になりたかった 」
「 こういうことが好きだった 」

という、『 想いのかけら 』みたいなものかもしれない。

完全に手放さなくてもいい

夢って、必ずしも「プロになること」や「職業にすること」だけじゃない。

一度離れたとしても、

『 別の形で関わることはできる 』

たとえば…

音楽の道は諦めたけど趣味で弾き語りを続けている

漫画家の夢は叶わなかったけど今もSNSでイラストを描いている

スポーツの道はやめたけどコーチとして子どもに教えている  などなど,,,
どれも立派な “夢の続き” だと思う。

あの頃の夢は、今の自分の一部になっている

夢を追っている・追っていない自分を、どこかで恥ずかしいと思っていた。
でも今は少し違う気持ちで思える。

中途半端だったからこそ見える景色気づけたことや 守れたものもがあったんじゃないか

そして、その経験が今の自分の選択の基準をつくっている

たとえば、

人の頑張りに気づけるようになったり、夢に向かう人を応援したくなったり、無理しすぎないバランス感覚を持てたり。全部、あの “ 中途半端な夢 の続きなのかもしれない

まとめ:夢をやりきれなかった自分にも、優しさを

夢に未練が残っているのは、きっとその時間が大切だった証拠だと思う。

全部うまくいかなくても、やりきれなくても、その途中にあった感情や努力は、ちゃんと自分の中に残っている。だから私は、中途半端だったあの頃の自分に、 よくやってたよ と声をかけてあげたい。

夢を完全に叶えられなかったでは無く、形を変え続くんだよ、と 自分にも、少しだけ優しくしてみようと思う。

以上

最後まで、読んでいただき、
ありがとうございます 』 また、こういった内容の記事も投稿しますので、気軽に遊びに来てもらえと嬉しいです。

では、また近い内にお逢いしましょう。

O〜(お〜)✌️

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