Oの一族です
「また会おう」って言ったセリフ、
社交辞令、 それとも本心? 私の場合、過去を振り返ると、どちらの意味でも使用していました。あれから何ヶ月、いや1年以上たった今も会えていない!今日は、そういった内容の話。この記事が一つでも参考になれば幸いです。
あのとき「また会おう」って、たしかに言った
久しぶりに会った友人と、何時間も笑って、語って。別れ際、「また会おう」と自然に言葉が出た。相手も笑ってうなずき、おう、「またな」と手を振った。だけどそれから、もう何年も会っていない。特別な理由があったわけじゃない。ただ、なんとなく連絡できないまま、時間だけが過ぎていた。
なぜ、連絡できないまま止まってしまうのか?
「また会いたい」と思った気持ちは、嘘じゃない、でも、会わないまま月日が経つと、なぜか連絡するのが難しくなる。タイミングを逃したというか、相手が忙しそうとか、自分の近況をうまく話せない、など ,,, 気づけば、「なんて送ればいいんだろう?」と悩み、また会えない時を刻んでしまう。
自分でも気づかない“ハードル”が、心の中にある
たとえば、こういう気持ち。
・相手がもう自分のことを覚えていないんじゃないか
・昔みたいにうまく会話が続かなかったらどうしよう
・今さら何かきっかけがないと、連絡しづらい
どれも小さな不安、だけど、積み重なると「会いたい」気持ちより、「動けない」理由の方が大きく感じてしまう。
たしかにあの時、会いたいって思っていた
本当は連絡できないことが問題なんじゃない。大事なのは、「また会おう」と言いたくなる関係があったということ。たとえ再会できなくても、その時間が私の中に残っていて、時々思い出すのなら、それは、“つながり”なはず。会えなかったことに目を向けると、自分が嘘をついたみたいに感じるが、言葉にしたときの気持ちは本物だったはず。
今日、ひとことだけでも送ってみる
「元気にしてる?」「この前○○を見て、君を思い出してさ!」そんなささいなひとことでいい。返事がこなくても、続かなくても、“またな”の続きをつくってみるだけで、少し気持ちが軽くなることもある。それが難しいなら、ただ心の中で「ありがとう」といい、動けなかった関係にもちゃんと意味があったと受け止めてみる。
まとめ:止まった関係を気にしてしまうのは、大切にしていた証拠
たくさんの人と出会って、別れて、思い出す人がいるということは、その関係が自分の一部になっているということ。「また会おう」と言ったのに会えずじまい。それでも、そのときの笑顔や空気は、今の自分につながっている。関係を再び動かすのも、そっと大事にしまっておくのも、どちらも自分なりの“やさしい選択”だと私は思う。
以上
最後まで読んでいただき、
『 ありがとうございます 』
また、こういった内容などの記事も投稿しますので、気軽に遊びに来てもらえると嬉しいです。では、また近い内に、お逢いしましょう。
O〜(お〜)✌️