なんでいつも、ちょっとだけ飲み残すのだろう

中途半端 道

Oの一族です

こんな光景に、見覚えは? ペットボトルやコップなど1口分の飲み残しをして放置してある状態 。私の場合、家族である弟がまさにそれで、「ちゃんと残さず、最後まで飲め!」と、何度このセリフを言ったことか。  “何で最後まで飲まないのか? 何か理由があるのか?“ 今日はそんな話をしたいと思います。この記事が、一つでも参考にれば幸いです。

飲み物を最後まで飲み切れない

コーヒー、紅茶、ジュース、水。
どんな飲み物でも、なぜか少しだけ残してある状態。あと一口なのに、なぜか飲みきれない!
冷めてしまったから? 忘れてただけ?いや、たぶんそれだけじゃない。そのまま放置されたペットボトルやマグカップを見るたび、「またか…」と、怒りが込み上げてくる ,,, たまになら良いが、日常なら尚更だ 怒

飲み切れない理由って、案外いろいろある

どうしていつも、飲み物を中途半端に残してしまうのか?

いくつか理由を考えてみた。

最後の一口がぬるくて美味しくない
飲みすぎたくないという無意識のブレーキ
なんとなく“完了”させたくない気持ちがある
途中で気が散って、存在を忘れてしまう    その他

どれも、ちょっとした理由ばかり。それが重なると、見事に「中途半端となる」

「残すこと」を、否定しすぎなくてもいい

最近は、飲み残しをこうも思うようにもなった。飲み切らないことが本当にダメなのか? 実は、“ちょっと残す”ことも、その人の感覚のひとつなのでは? たとえば…

自分にとってのちょうどいい量が感覚的に分かっている
飲み切らないことで、体や気分への配慮をしている
あえて余白を残して、区切りをつけたくない気持ちがある

そんな風に思えると、私は 少し愛おしく思えてきた  笑

飲み切れないモヤモヤを減らす小さな工夫

飲み残しを見るとストレスになることが多い。
考えたのが、「 飲み切れる仕組み 」をつくる。 たとえば、

飲む量をあえて減らす(小さめのカップや少量パックにする)

飲むタイミングを意識して整える(仕事の合間ではなく、落ち着いた時間に飲む)

“飲み切る”ことに意味を持たせる(1日の区切りや休憩終了の合図にする)

飲み残しは、自分の感覚と生活リズムを整えるサインでもある。

まとめ:中途半端な一口が教えてくれる、自分の“ちょうどよさ”

「最後の一口を残してしまう」それは、決して悪いことじゃない。むしろ、自分の感覚にちゃんと従っている証拠なのかもしれない。「ここまでが自分にとってちょうどいい」と受け止めてみる。そんな風に思えたら、中途半端に残された飲み物も、今の自分を映す“ひとつの形としてポジティブに受けとめてみる。 が! 時と場合によって良い印象を持たないこともあるので注意が必要かと。

以上

最後まで読んでいただき
ありがとうございます 』また、こういった内容の記事も投稿しますので、気軽に遊びに来てもらえると嬉しいです。

では、また近い内に、お逢いしましょう

O〜(お〜)✌️

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